世界遺産登録へ
日本一の富士山が
「世界文化遺産」への登録勧告を受けた。
それって、日本人だと、
何となく嬉しいニュースじゃないですか。
私がそんな日本一の富士山に登ったのは
かれこれ25年ほど前、
俳優養成所の夏休みだった。
仲間たち14、5人で
本栖湖のキャンプ地に車で出かけた。
カレーライスを皆で作って食べ、
キャンプファイヤーを囲み
(歌ったかしら?うーん、歌ったかも…笑)
飲んで、騒いで
夜も更けた深夜0時頃のこと。
急に、誰かれともなく
「日本一高い場所を目指して
みんなで富士山に登ろう!」と言い始めた。
深夜突然、仲間たちと富士登山を決行するなんて、
いま思えばかなり無謀な行為だったが、
若さと、満点の星空と、
少しのアルコールの力がそうさせたのかも知れない。
湖畔のお土産屋のおばちゃんは
五号目から4時間ほどで登れるよと話していた。
それを鵜呑みにし、
若く無知な私たちはジャージの上下姿という、
キャンプファイヤーの姿そのままの軽装のまま、
物見遊山の体でワイワイガヤガヤ歩き出した。
山小屋の親父さんの「山をなめるんじゃないぞ!」
との忠告も軽やかに聞き流して。
六号目を過ぎてから
女の子達が帰ろうと言い出したのを機に、
仲間たちの大半が引き返していった。
その時点で果たして何人残ったのか
あまり覚えてはいないが
八号目あたりで、
私を含めて三人だけになった。
日の出前の山頂付近は
夏といえども相当冷え込む。
道も岩場になって鎖に捕まって登るハードなルートだ。
気がつくと連れの一人が岩場に座り込んでいて、
気持ちよさそうに眠ろうとしている。
それを見て私たち二人は
「寝るな!」「寝るんじゃない!」と少し真剣に、
なかば冗談のようにその友人の頬を叩き続けた。
その連れの一人は山小屋に放り込み、
最後は、竹中直人ふう(笑)の連れと私の二人になった。
日の出直前の雲海の、
なんと素晴らしかったことか!
一面が真っ青、
空も雲の海も同色で深い青色、
そして足下に雲の海が大きくゆったりとうねっている。
山小屋で一夜を明かした登山者達も御来光を待っている。
途中、下山者が「その格好は寒いぞ」
とカーディガンを譲ってくれた。
正直、助かった!という言葉が口をつく。
そのときのカーディガンの温かさは格別だった。
あとは登頂のみ!
連れと朝飯を賭けて競争した。
ありがたいことに連れから朝食をもらい
遂に日本一の場所に立ったのだ。
それにしても、土産物屋のおばちゃんには騙された。
4時間どころか、8時間もかかった。
しかし、“若さ”とはエラく凄いことだ。
教えられた時間を遥かに超えても
ただ勢いだけで登ってしまうのだから。
山頂に到着したのは朝の8時。
日射しもたっぷりで、
私たちはついベンチでうとうとと眠ってしまった。
目覚めるとお昼の12時。
他の仲間たちが心配しているだろうと、
慌てて下山を開始。
ルートはキャタピラー車が使う道。
急な砂地の斜面を斜めに右へ左へとしながら
延々と降り始めた。
あまりにも単調なので、やっぱり歌う~♪
もう嫌だ、疲れた…と愚痴をこぼしながら
五号目に着いたのが夕方4時。
仲間たちが心配したのは言うまでもないが、
もっと恐ろしいことが二人を襲った。
なんと私たちの顔が真っ黒で、
しかもところどころオレンジ色の液体が
皮膚からにじみ出していたのだ。
日本一高いところで
私はどんなことを感じるのか?
よもや4時間の紫外線攻撃を受けるとは…
なんと、そこはひとを“ゾンビ”へと
変化させる場所だったのだ!
ここのところのテレビや新聞のニュースで
「富士山」の話題を聞き、
そんな若い頃の思い出になんとなく苦笑してしまった。
どうぞ、これから富士登山を試みるみなさん、
富士山登頂には、くれぐれもお気をつけください。
…と、ゴミは必ず持ち帰りましょう!!
「世界文化遺産」への登録勧告を受けた。
それって、日本人だと、
何となく嬉しいニュースじゃないですか。
私がそんな日本一の富士山に登ったのは
かれこれ25年ほど前、
俳優養成所の夏休みだった。
仲間たち14、5人で
本栖湖のキャンプ地に車で出かけた。
カレーライスを皆で作って食べ、
キャンプファイヤーを囲み
(歌ったかしら?うーん、歌ったかも…笑)
飲んで、騒いで
夜も更けた深夜0時頃のこと。
急に、誰かれともなく
「日本一高い場所を目指して
みんなで富士山に登ろう!」と言い始めた。
深夜突然、仲間たちと富士登山を決行するなんて、
いま思えばかなり無謀な行為だったが、
若さと、満点の星空と、
少しのアルコールの力がそうさせたのかも知れない。
湖畔のお土産屋のおばちゃんは
五号目から4時間ほどで登れるよと話していた。
それを鵜呑みにし、
若く無知な私たちはジャージの上下姿という、
キャンプファイヤーの姿そのままの軽装のまま、
物見遊山の体でワイワイガヤガヤ歩き出した。
山小屋の親父さんの「山をなめるんじゃないぞ!」
との忠告も軽やかに聞き流して。
六号目を過ぎてから
女の子達が帰ろうと言い出したのを機に、
仲間たちの大半が引き返していった。
その時点で果たして何人残ったのか
あまり覚えてはいないが
八号目あたりで、
私を含めて三人だけになった。
日の出前の山頂付近は
夏といえども相当冷え込む。
道も岩場になって鎖に捕まって登るハードなルートだ。
気がつくと連れの一人が岩場に座り込んでいて、
気持ちよさそうに眠ろうとしている。
それを見て私たち二人は
「寝るな!」「寝るんじゃない!」と少し真剣に、
なかば冗談のようにその友人の頬を叩き続けた。
その連れの一人は山小屋に放り込み、
最後は、竹中直人ふう(笑)の連れと私の二人になった。
日の出直前の雲海の、
なんと素晴らしかったことか!
一面が真っ青、
空も雲の海も同色で深い青色、
そして足下に雲の海が大きくゆったりとうねっている。
山小屋で一夜を明かした登山者達も御来光を待っている。
途中、下山者が「その格好は寒いぞ」
とカーディガンを譲ってくれた。
正直、助かった!という言葉が口をつく。
そのときのカーディガンの温かさは格別だった。
あとは登頂のみ!
連れと朝飯を賭けて競争した。
ありがたいことに連れから朝食をもらい
遂に日本一の場所に立ったのだ。
それにしても、土産物屋のおばちゃんには騙された。
4時間どころか、8時間もかかった。
しかし、“若さ”とはエラく凄いことだ。
教えられた時間を遥かに超えても
ただ勢いだけで登ってしまうのだから。
山頂に到着したのは朝の8時。
日射しもたっぷりで、
私たちはついベンチでうとうとと眠ってしまった。
目覚めるとお昼の12時。
他の仲間たちが心配しているだろうと、
慌てて下山を開始。
ルートはキャタピラー車が使う道。
急な砂地の斜面を斜めに右へ左へとしながら
延々と降り始めた。
あまりにも単調なので、やっぱり歌う~♪
もう嫌だ、疲れた…と愚痴をこぼしながら
五号目に着いたのが夕方4時。
仲間たちが心配したのは言うまでもないが、
もっと恐ろしいことが二人を襲った。
なんと私たちの顔が真っ黒で、
しかもところどころオレンジ色の液体が
皮膚からにじみ出していたのだ。
日本一高いところで
私はどんなことを感じるのか?
よもや4時間の紫外線攻撃を受けるとは…
なんと、そこはひとを“ゾンビ”へと
変化させる場所だったのだ!
ここのところのテレビや新聞のニュースで
「富士山」の話題を聞き、
そんな若い頃の思い出になんとなく苦笑してしまった。
どうぞ、これから富士登山を試みるみなさん、
富士山登頂には、くれぐれもお気をつけください。
…と、ゴミは必ず持ち帰りましょう!!
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